mowl Producerのオクヤマ エイジ氏が『mowl』を立ち上げたのは2016年。
mowlの代表としてヨーヨー業界内外で活動してきたオクヤマ氏のこれまでの功績は数知れない。
そもそもオクヤマ氏とヨーヨーとのルーツはどのようなものなのか…今回はひもといていきたい。
オクヤマ氏は、1990年代後期のヨーヨーブームを通じてヨーヨーを始める事となる。
ブーム当時は「ヨーヨー=おもちゃ」というイメージの中でオクヤマ氏自身もヨーヨーにのめり込み、地元静岡県から飛び出し、全国各地で行われたヨーヨーイベント等で各地のプレーヤー達と親交を深めたり、ヨーヨーのコレクション収集を行っていた。
また、当時のヨーヨーのプレイスタイル(シングルハンド部門/ダブルハンド部門)とは一線を置き、いち早くオフストリングに目を付け、オフストリングトリックの開発やオフストリングのみのフリースタイルの練習を重ね、今日のオフストリングスタイルの原型を作り上げた第一人者でもある。
そんな中、当時のヨーヨーブームの立役者達でもあるヨーヨーのプロチーム『Team High Performance(以下:THP)』に憧れを持ち続け、そのTHPの本拠地でもあるアメリカ ハワイ州に学業を兼ねて2002年~2003年に留学。
留学中も独自にヨーヨーの技術に磨きを重ね、見事現地のTHPチームに認められ、日本では数少ないTHP Hawaiiのメンバーに加入した。
その後、当時のヨーヨーブームが去った後もオフストリングスタイルに向き合い、独自に練習を重ね、2003年のアメリカ フロリダ州で行われた世界大会に出場し、オフストリング部門(現4A部門)の初代世界チャンピオンを獲得した。
ハワイ仕込みのダイナミックかつリスキーなトリックを織り交ぜたフリースタイルを披露し、会場を大いに沸かせた。
また、同フリースタイル内で披露した、自身の名前が取り入れられた『EIJI Regeneration(エイジリジェネ)』は、オクヤマ氏のオリジナルトリックとして今なお後世に受け継がれている。
その後、アメリカのヨーヨーブランド『yoyofactory』の関係者に2003年の夏にスカウトされ、同ブランド立ち上げメンバーとして加入した。
当時のアメリカのヨーヨーシーンで中核を担う、ユウキ スペンサー氏やポール ハン氏と同メンバーとして切磋琢磨し、2000年代中期〜後期にかけてオクヤマ氏は世界のヨーヨーシーンを大いに盛り上げた。
オクヤマ氏の魅力の一つとしてあげるのであれば、ヨーヨーのフリースタイルのみならず、日々のライフスタイルの在り方ではないだろうか?
どんなシーンにおいても、時代時代で様々なトレンドがある中、オクヤマ氏はそのトレンドをヨーヨーとライフスタイルに取り入れた第一人者でもある。
当時のトレンドのストリートファッションやスニーカーをヨーヨーのフリースタイルを披露する際に着用し、ステージ上で自身の演技に付加価値をつける立ち振る舞いを行った。
そういったオクヤマ氏の立ち振る舞いに憧れを持ったヨーヨープレーヤーも数多くいたのではないだろうか。
その後、オクヤマ氏は2007年に再度4A部門の世界チャンピオンを獲得し、選手として一区切りをつける形となる。
2000年代後期以降、オクヤマ氏自身はヨーヨーシーンとは距離を置き、自身を見つめ直す時間を求めたが、やはり10代の多くを過ごしたヨーヨーシーンとのつながりは本人にとって大切な時間となった事もあり、定期的にヨーヨー業界とのつながりを持ち続けた。
そんな中、オクヤマ氏の大きな転機となったのは、2015年にドイツに拠点を置き、今後の自身のライフスタイルとヨーヨーとのつながり方を今一度振り返る中で、一つの考えとして『ヨーヨーブランドの立ち上げ』にいきついた。
その考えこそ、まさにヨーヨーブランド『mowl』の原点となる。
その後ヨーロッパを中心に世界各国とのつながりを新たに築きながら、数年の準備期間を経て2016年に『mowl』ブランドの立ち上げを行い…今日に至る。
オクヤマ氏がヨーヨーを通じて築き上げた物語はまだ道半ばではあるが、今後もオクヤマ氏、そしてmowlの描く数々のストーリーに注目したい。